
ギャレット・オリバー氏はクラフトビア界で最も偉大なブルワーの1人だ。ビールとフードのペアリングに関する彼の知識は料理界でも広く認められている。クラフトビアの人気講演者であり支持者として、世界中のイベントで講演をおこなっている。最も注目すべき『The Oxford Companion to Beer』をはじめとする何冊もの書籍の著者でもある。ビールの歴史や伝統的スタイルに関して、彼よりも博識な者はほとんどいない。しかも、彼はビールの歴史を知っているだけではない。クラフトビアをニッチではなく広く知られたあたり前のものにするために貢献しているビール史の変革者でもある。
先日ギャレット氏と1時間ほど話をする機会に恵まれた。彼ほど多忙な人物の1時間は大変に貴重だが、話したいことがあまりに多い彼のような人物にとっては1時間は十分とはいえなかった。そして彼は素晴らしい話し手でもあった。
2012年にサンディエゴで開催されたクラフトブルワーズ会議で「Defend Beer(ビールを守れ)」というシャツを着ていらっしゃいましたね。その背景にある哲学をご説明いただけますか?
うちの醸造チームの良い写真が必要だったのです。私は「Defend Beer」ロゴをデザインした黒いTシャツと多数の幅広の刀を注文しました。マーベルコミックスと共にイベントを催したことがあるのですが、彼らが『ゲーム・オブ・スローンズ』のプロデューサーを紹介してくれ、そこから刀の製作者を紹介してもらったのです。今では醸造チームのメンバー全員が大きな刀を所有しています。そして、刀を構えた私たちが醸造所の中で文字通りビールを守っているという、素晴らしく愉快な写真も。
もとはと言えば、カラシニコフ銃の写真をデザインした「Defend Brooklyn(ブルックリンを守れ)」というTシャツが街で流行っていたんです。私たちが長年おこなってきたことは、工業化や周辺化、そして「黄色くて面白味がない炭酸飲料」へ逆戻りしようとするすべての事柄からビールを守ることであったのだと考えました。私たちはビールを宣伝するだけではなく守ってもいるのです。
アメリカの醸造者協会(Brewers Association)では、一部の会員がアメリカ国内の「クラフト vs. クラフティ(ずる賢い)」という論争に火をつけましたね。巨大な工業的ビール製造業者が、クラフトビア人気にあやかろうとして自社ビールをまるでクラフトであるかのようにマーケティングしているという話です。あなたの立場はいかがですか?
私の中には2つの心があります。一つは、言ってみれば感情的なもの。私たちは長い間大手醸造業者を相手に戦ってきました。彼らが使う戦術の多くは、ずるいもので、法律でも認められていません。私たちを市場から閉め出すために可能な限りあらゆることをされた例もあります。家を二重の抵当に入れて生活を危険に晒しているような小さなクラフトビア醸造業者にとっては、非常に感情的な問題も存在します。多くの人々はクラフトビアで成功するために長年にわたる貧窮に耐えてきました。そこに、ある意味で彼らの姿を装った工業的製造業者が現れるのです。ある部屋に入ってみたらそこに私の帽子と服を身に着けた男がいて私の名前を名乗っている、というようなものでしょう。もちろん、その男は私ではありません。しかし消費者が必ずしもその違いを理解できるとは限りません。特に、工業的な醸造業者とのつながりを一切表に出さないビールは不誠実です。彼らは一般大衆が自分をそれほど好きでなくなったことに気付いて別の誰かになろうとしているのです。「ブルックリン・ブルワリーやストーン・ブルワリーのふりをしようじゃないか」というわけです。
一方で私の理論的な心は、彼らは株主に対する責任を負っている巨大企業で、株価を上げようとしているのだ、と理解しています。ただ、工業的醸造業者に未来はない。それだけのことです。自分たちに将来性があるなどと議論することは、相手が誰であっても彼らには不可能です。では私たちは彼らに何を望んでいたのでしょう?彼らが単純に財政を悪化させて消えていくと予測していたでしょうか?もちろん違います。彼らはとても頭が良く、創業100年を超える企業を設立しているのですから。彼らは応戦します。大衆が望んでいると彼らが思っているもの、すなわちクラフトビアに見せかけた何かを提供しようとしています。一般の方々には工業的醸造業者に対して怒っていただきたいですが、実際、彼らはそれほど気にしていません。クラフトブルワーは自分たちの仕事に集中するべきです。創造性やスピリットを維持して、自分たちがつくりたいビールを醸造して人々に届けることです。そうすれば他の問題は自ずと解決するでしょう。答えは消費者が出すでしょう。消費者には正しい情報に基づいた決定を下してもらいたいけれど、そうなるかどうかは、わかりません。ですから私たちは日々彼らを獲得し続けていく必要があるのです。
大規模なクラフトビア醸造業者とクラフトブルワリーとの間には判断が難しいエリアがあるとの見解が広まっています。例えばボストン・ブルワリーは現在では上場企業ですが、先の醸造者協会では今でもクラフトブルワリーであると見なされています。ラグニタスはアッシュビルに大規模な醸造施設を開く予定です。ブルックリンも小規模ではありません。クラフトブルワーではなくなる境目はどこでしょうか?
私にとっては規模は一切関係ありません。ボストン・ブルワリーはブルックリンの10~15倍は規模が大きいとは言っておきましょう。アンハイザー・ブッシュ・インベブ(バドワイザーやコロナを製造)の規模はボストンの200倍です。これでもブルックリンが小さくないと言えるでしょうか?私たちのビールが広く流通していることは事実です。日本は始めての輸出先で、1990年の醸造所設立から約1年後には私たちは日本へ進出しました。私たちがビッグだと考えられるのは自然なことですが、従業員は100人以下です。結局の所、クラフトとはブルワーの心の中にあるものだと考えています。シエラネバダをご覧なさい。私たちの5倍もの規模を有していますが、ケン・グロスマンを尊敬しないクラフトブルワーなど一人も知りません。彼は天才です。そして彼は、シエラネバダの醸造所で起きるすべての出来事に関わっています。シエラネバダは、醸造所がどうあるべきかというビジョンを体現しています。クラフトでないはずがありません。一般の醸造業者とクラフトブルワリーとの違いを知るための方法の一つは、質問することだと思います。「醸造長はどなたですか?」と。大規模な醸造業者では誰も答えを知りません。何故なら大規模な醸造業者の影にあるのは金であって、人間やビジョンではないからです。
あなたの醸造所の黎明期を振り返りたいのですが、1990年代、醸造所がブルックリン地域内のそれまでよりずっと大規模な施設へ引越した時はすでにいらっしゃいましたね。ストレスも多い反面ワクワクしたことと思います。
はい。スティーブ・ヒンディとトム・ポッター(共に共同創立者)とは長年の知り合いで、1980年代に自家醸造を通じて知り合い、将来は共に仕事をしようといつも話していました。2人はブルックリンラガーとブルックリンブラウンエールの2種のビールをブルックリンの外でつくりました。私が働けるような醸造所を街の中に持っていなかったのです。そこで、互いに連絡は保ちつつ、私は1989年からマンハッタン・ブルーイング・カンパニーという所で働き、イギリス人の投資家と組んでその醸造所を買収し、ブルーパブを開こうと計画していました。そこへスティーブがやってきて言いました。「ブルックリン・ブルワリーへ来て、新しい醸造所をブルックリンに作ってほしい」と。何パイントもの杯と多くの相談を重ねた結果、私はイギリス人投資家の元へ戻りました。ブルーパブの計画は実現されませんでしたが、投資家たちは私と共にブルックリン・ブルワリーへ来てくれました。そして私たちはすぐに変化を加えはじめました。まずブルックリンラガーとブルックリンブラウンエールのレシピを変え、次に私にとってブルックリンで初めてのビールであるブラックチョコレートスタウトをつくりました。1994年の冬のことです。
それ以来ブルックリンラガーのレシピは同じですか?
ほぼ同じです。もちろん常に多少の調整は施していますが。時代と共にホップが変化しているので、変更点の多くは使用するホップ種です。また、私がおこなった主な変更の一つはスティームビールのようなもの(比較的高温でラガーイーストで発酵するビール)から、深い色の昔ながらのラガーらしいものにしたことです。この両者もブラウンエールも伝統的なスタイルにより近づけたかったのです。それ以来大きな変更はありませんが、それは市場におけるブルックリンラガーの位置が根本的に変化してきたことを考えると興味深いですね。最初に登場した頃は極端だと受け取られていたのですから。多くの人々はそれまでアンバービールを見たこともなければ、ドライホップされたビールを飲んだこともありませんでした。もちろんIBU(国際苦味単位:International Bitterness Units)が30もあるビールを口にしたことなどありません。あの頃のことはよく覚えていないという人もいますが、そのような状況から出発して、私たちはニューヨークにクラフトビア市場を築き上げました。今では、ブルックリンラガーは大学生から引退後の方々まで幅広く楽しまれています。
それでも、アメリカのクラフトビアシーンでは、とても見つけやすい非常に数少ないラガーの1つだと思います。何故ラガーはもっと増えないのでしょうか?
アメリカのクラフトビアシーンは明らかに自家醸造から生じています。私たちほとんどの出発点です。以前は多くの自家醸造家は温度管理をすることができず、つまりラガーの醸造が不可能だったのです。最近でさえもラガーをつくる自家醸造家はせいぜい全体の20%程度ではないでしょうか。
ビアスタイルに関して、今後10年間でクラフトビア業界はどのようになるとお考えですか?
様々な方向へ向かうと思います。まずセッションビールに対する興味が確実に存在しています。味わい深いけれども比較的アルコール度数が低いビールのことです。ブルックリンの醸造所の一つでは、実際に「oishii」(日本語のおいしいから命名)という、私たちの「ソラチエース」というビールを元にしたアルコール度数3.5%のセゾンビールをつくりました。そして更に多くのサワービールが現れるでしょうね。ワイルドイースト、特にブレタノマイセスを使った醸造への関心も更に高まるでしょう。グレートアメリカン・ビアフェスティバルでは、ベルリナーヴァイセのカテゴリーに何十ものエントリーがあります。クラフトビアの主流にサワービールが加わる可能性を示していますね。
サワービールは醸造しましたか?
数多くのサワービールをつくりましたが、商業ベースではまだリリースしていません。私たちは毎年必ず約25種類の異なるビールを一般向けに販売しています。加えて「ゴーストボトル」と呼ぶビールが更に約20種類あります。製造ロットが比較的小さく約100ケース程しか作れないので一般に販売するには足りません。このゴーストボトルはイベントやビールディナーに出すためもので、クリークやベルリナー・ヴァイセなど、ワイナリーから頂いたワイルドイーストを使ってつくったビールも色々とあります。酸っぱくてファンキーな味わいで、私たちのビールの中でも個人的に強いお気に入りです。また、年末までにやりたいことの一つとして、醸造所の近所に1500個の樽を収容できるバレルエイジ用の施設を建てたいと考えています。ブルックリン界隈の土地は取得が本当に本当に難しく、しかも恐ろしく高価です。現在私が樽熟成ビールの温度を管理できるスペースでは、たった1度販売する分のビールしか扱えません。そのビールは「Black Ops」です。しかし実は他にも多くのビールをつくっているので、何年もかけてつくってきたそれらビールの一部を一般のお客様にも楽しんで頂けるようにしたいのです。
2020年の市場はどうなっていると予測されますか?チャーリー・パパジアン氏はクラフトビアが全ビール市場の10%を獲得すると予測していますが。
2020年までに10%を獲得できるかどうかはわかりませんが、例えばオレゴン州ポートランドではクラフトビアが市場の30%~40%を占めています。クラフトビアは最終的にそのあたりまで到達するでしょう。ただ、今から7年以上かかるのではないでしょうか。現在のアメリカで、クラフトビアは勢いを落とすどころか拡大しています。大恐慌以来史上最悪の経済状況の中で拡大しているのです。2008年か2009年に底を打ちましたが、クラフトビアは今やロケットのように上昇しています。この事実からも、クラフトビアが市場に存続していくことを一般に理解して頂けるでしょう。
アメリカのクラフトビアを理解していただくために必要だと思うことのひとつは、食に関する全体的なムーブメントです。これは独立して発生したものではありません。私が子供の頃は大量の冷凍食品が消費されていて、かなり加工されたスーパーマーケットの食品がすべてを支配していました。今では小さな町でさえ本物のチーズを売っている店がありますし、スーパーマーケットではオリーブオイルだけで一列が占められています。人々が本来のアメリカの食文化を取り戻しつつあるのです。もし1900年に戻ることができれば、ニューヨークには世界で最も多様性があり魅力的な食文化のひとつがあったことがわかります。他の場所はニューヨークのレベルに近づくことさえできなかったでしょう。当時のビール文化も同様です。ブルックリンに48もの醸造所があったんですよ!そして国中のビールの10%を製造し、何もかも醸造していたのです。ある醸造所はヴァイスビールが専門、こちらはポーター専門、あちらはIPA、といった具合です。比較的新しいラガースタイルを専門にする人々もいました。ローカルなアメリカスタイルのビールもありました。ドイツやベルギー、イギリスへ目を向ければ、それぞれの国に素晴らしいビール文化がありましたが、アメリカにはそのすべてがあったのです!アメリカでは1800年代中ごろからバスが輸入されていますし、ギネスは既に主要な位置を占めていました。私たちがゼロから始まったのではないことは知っておかねばなりません。大勢の移民がいたおかげで、かつてのアメリカには素晴らしい食とビールの文化があったのです。ローマやロンドンやパリでは異なりましたが、ニューヨークにはそれがありました。これは私たちが受け継いでいる伝統です。あらゆる人々がいたおかげで、ニューヨークには何もかもがありました。ただ、それは失われてしまいました。すべてが捨てられてしまいました。ですから、現在私たちが持っているものは伝統でも一時的な流行でもなく、正常な状態への回帰なのです。
アメリカのクラフトブルワーの間で大流行している樽熟成も同様です。「うわあ、これはすごい。ワインの世界から沢山のクールなアイディアを得ているんですね」と言われたら私はこう答えます。「ちょっと待って。ワインの世界だって?ビールは1000年も前から樽詰めされていたんですよ。ビールがオーク樽に詰められなくなったのは1930年代か40年代のことで、最後の樽が市場から消えたのは50年代です。ですから、アメリカビールの歴史の中では木樽の使用がほんの短い間だけ中断された、というのが正解です。それから、ビールを詰めてコルクとワイヤーで栓をした、いわゆるシャンパンボトルはどうでしょう?そもそも、それは「ビール瓶」です。元々はシャンパンがビール瓶に詰められていました。シャンパンの製造技術もビールから来ているんですよ。現在はワインを褒め称えて物事をワイン目線で語ろうとする文化があるというだけで、これらは本当は私たちビールのものなんですよ」
食の話に戻ります。食とビールのペアリングに興味をお持ちになったのはいつ頃からですか?
元々私は料理人でした。料理は父の熱心な趣味でした。父と私は、猟犬を連れて、時には馬に乗って、ウズラやキジを狩ったりもしました。そして家に戻ると獲物を調理したのです。父の料理の腕前は素晴らしくて、私は父から多くの基礎を教わりました。カレッジでは私は料理上手として知られていました。その後ビールと恋に落ちて自家醸造を始めてからは、私の人生には料理とビールが存在していましたが、1980年代後半に様々なレストランでビールディナーを開催し始めるまでは両者が頭の中で1つになることはありませんでした。その後マンハッタン・ブルーイング・カンパニーでビールディナーを始めました。私たちがビールを使っておこなうことで人々が喜ぶ様子が見られるようになりました。著書『Brewmaster’s Table』はこの体験から生まれました。ほんの少しの注意を払えば、食事から得られる喜びが飛躍的に増すということに気付いていただきたかったのです。ある意味とても単純なことで、ジャズのようなものです。それはあなたの生活を豊かにしますが、誰かが初めてコルトレーンのレコードを聴かせてくれたというような、きっかけの日が存在するでしょう。その瞬間に小さな扉が開いて、扉の向こう側には、文字通りそれまでよりも素晴らしい人生が待っているのです。あなたはその扉を抜けて向こう側へ行くだけで良いのです。これまで私が試みてきたのは、あなたのために扉を開ける人間の一人になろうということでした。それを毎日おこなうことが私たちの仕事です。私たちはビールをつくっています。偉そうに聞こえるのは承知ですが、皆さんの好きな物と、より良い人生を送るための術を提供しているのです。
『Brewmaster’s Table』を出版されてからの10年間で、食とビールについてのお考えはどのように変化しましたか?
これまでに、ディナーとテイスティングを恐らく1000回は催し、その特権として世界トップレベルのシェフの方々と共に仕事をしました。でも私はもっともっと奥深くまで突き詰めていきたいです。ブルックリンでは最近醸造所に専属のシェフを雇い、キッチンを建設している最中です。私と2人のブルワーがお客様のために定期的に料理をします。5皿のコース料理を出す予定です。戯れにやっている訳ではありません。骨を除いたウズラにフォアグラとトリュフを詰めてカモのデミグラスソースに浸した料理を観客の前で技を見せつつ1から調理します。私はこれらを非常に真剣におこなっています。ビールディナーはアメリカのクラフトビア文化の一部となりましたが、ブルックリン・ブルワリーは常にその最先端であり、今後も最先端の醸造所であり続けることは私にとって非常に重要です。私たちがおこなっているものは他の醸造所では見ることができません。そして私たちの中でより大きな部分を占めるまでに、このフードの側面を育てていきます。
1998年にRussell Schehrer Award for Innovation and Excellence(醸造における革新性と素晴らしさに対するラッセル・シェラー賞)を受賞されましたね。ご自身が「革新的」で「最先端」である理由は何であるとお考えですか?
私の知る限り、そしてジャーナリストの方々が言ってくださった限りでは、私たちがコラボレーションビールを発明したからです。2001年か2002年に他の醸造所がコラボレーションを開始するまで、私たちはそう信じていました。今では誰もかれもが互いにコラボレーションビールをつくっているように見えます。私たちは、カクテルを模したビールをつくりました。スコッチウイスキー、生姜、蜂蜜、レモンを使ったものです。ビールにはピートで燻製した麦芽を60%使い、オーガニックのレモンジュース、野生の花から採れた蜂蜜、そして1バッチ60ヘクトリッターあたり約20キロの生姜のみじん切りを加えました。生姜はドライホップのように5日間浸してから漉して取り除きました。このビールは『ドラフトマガジン』誌で2011年のトップ25に選ばれました。
ブルックリンブルワリーはチャンスを生かすことに常に前向きです。私は数ヶ月前にブラジルへ行きましたが、そこでWalsという小さな醸造所と協力しました。私が温めていたアイディアを実行したいと考えて、700キロのサトウキビをマチェーテ(中南米でサトウキビの伐採などに用いられるなたに似た刃物)で伐採しました。醸造所にはクラッシャーが必要だとお願いして、それでサトウキビを粉砕してから鍋へ直接投入し、サトウキビの汁から約15%の麦汁をつくりました。これも私たちの革新的なスピリットの一例です。私たちは常に伝統を新たに発明しようと試みています。私にとっては、ブルックリン・ブルワリーが成長するにつれてより一層面白くなることが非常に重要です。面白さが減ってはいけません。毎日、毎年、私たちは深みを増していきます。市場の動向によれば、私たちが大きく成長するにつれて、より多くの人々に気に入ってもらう必要があるので、商業的に受け入れられることをしなくてはなりません。私たちはこの考え方をひっくり返しています。
多くのペアリングディナーのうちで、日本食レストランをお使いになったことはありますか?
日本食を使ったことはありますが、日本食レストランはありません。スシは今やアメリカの食文化の一部であり多くのシェフに強い影響を与えていますから、私もとり上げたことはあります。実は今、IPPUDO(一風堂)という店がニューヨークで生で提供するビールをつくっていて、恐らく数種類のオリジナルビールをIPPUDOのためにつくる方向で動いています。今回は私が食について知っている世界の外へ出ることになるのでワクワクしています。IPPUDOのスープを試食したのですが、フレーバーが非常に複雑で、西洋の出汁とはまったく異なっていて、ただのポークスープではありませんでした。出汁を取るだけで24時間かかるそうです。私のビールがそのようなフレーバーとどのように絡み合うか、それは本当に複雑です。
日本訪問に際して期待していらっしゃることはありますか?
前回日本を訪れた時には、二度と試す機会が得られないような食事と日本酒を楽しめる場所へ連れて行ってくれと友人に頼みました。日本の美意識にも心を奪われました。伊勢丹の食品ディスプレイは、それと比べれば自分たちの最高のディスプレイでもそこらの食品店のように見えてしまうほど素晴らしいものでした。あれほど美しいものを見たことがありません!築地の包丁店にも感動しました。今回は郷土料理や地方の名産品を楽しみにしています。将来的には、ある時点で、先ほどのブラジルの例のように地域性を表現する試みを木内醸造(常陸野ネスト)さんと一緒におこなうと思います。日本のクラフトビアについて考えると、多様性がついに顔を出し始めたところだと思いますが、クラフトビアのムーブメントとして日本と同様の段階にある他の国と比較すると、日本の多くの醸造所は品質レベルが非常に高いです。
日本におけるブルックリン・ブルワリーに関しては、私たちをバンドに例えれば、25年前にリリースした名アルバム「ブルックリンラガー」に人々が慣れ親しんでいる、そんな感じです。その後も私たちはアーティストとして成長を続けて40枚のアルバムをリリースしました。人々は今でもオリジナルのヒットアルバムが好きですが、バンドが様々な方向へ発展しているのに、1枚のアルバムだけ認知されていれば良い、と言うバンドはないでしょう。私が日本にいる間に、皆さんにはブルックリンラガー以外の私たちを少々お見せしたいと願っています。コンサートと同じで、ヒットアルバムからは3曲ほど演奏するでしょうが、全曲は演奏しません。ブルックリンラガーしか見ていない人は、楽しいことを色々とおこなっている革新的な醸造所である私たちの真の姿を知りません。
長年にわたり数多くの賞を受賞されています。その中で特に誇りにしていらっしゃるものはありますか?
うーん、良い質問ですね。『The Brewmaster’s Table』は2004年国際料理専門家協会(IACP)図書賞(2004 International Association of Culinary Professionals (IACP) Book Award)を頂きました。2012年には『Oxford Companion to Beer』で、料理に関する書籍についてイギリスで一番の賞であるAndré Simon Food and Drink Book Awardを受賞しました。ビールの本ではマイケル・ジャクソン以来、初の受賞です。素晴らしい瞬間でした。『Oxford Companion to Beer』には4年間も費やしていて死にそうに大変でしたが、この本は2011年にこの出版社で最も売れた本となりました。また、2003年にデンマークで受賞したSemper Ardens Award for Beer Cultureは、その数ヵ月後にストックホルムに開いたブルックリンの醸造所を含み、スカンジナビアで現在起きている出来事がすべてそこから始まったので、大変大きな意味がありました。
賞を頂くのは嬉しいことですが、私の頭の中には忘れられないことが2つあります。昨日、サンディエゴでおこなわれた全国大会でその年の自家醸造チャンピオンに輝いたアフリカ系アメリカ人女性からメールが届きました。私が彼女の英雄だったというので、もう本当に感激しました。また、学校の英語教師だという女性に話しかけられたことがありました。ビールにそれほど興味はなかったものの、ご主人があまりに興味を示すので『The Brewmaster’s Table』を読んでみたのだそうで、「本当に良い本だと、どうしてもお伝えしたかったんです」と言われました。これは10年前の話ですが、色々な方が私の本を褒めてくださる中でも、この時のことは非常によく覚えています。それから例えば「私のことを覚えていらっしゃらないでしょうが、何年も前にあなたのビール教室に参加しました。今ではクラフトビアにはまっています。あちこちで活動しています。ビールイベントで結婚相手と知り合いました」などと言われることもあります。私はもうその場で泣き出しそうになるのをこらえるのが精一杯です。私が提供したほんの少しの瞬間、私が開けた扉を通して皆さんにそれほど楽しんでいただけるとは。扉を開け続ける機会があり続けるのならば、他に何をすることがあるでしょう?人々をこれほど幸せにする機会に恵まれた人間がどれほどいると思いますか?


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