
最近、日本の大手ビールメーカーがクラフトビール参入を発表した際、ほとんどの人は全く気にも留めなかったし、そこに何の驚きもなかった。「なぜ彼らがする必要があるのか」と一斉に困惑した。主要メディアは淡々と、論争もなく、彼らの参入を報じた。小規模ブルワリーの義理堅い顧客と、クラフトビールの擁護者を自任する人たちによる、抗議の叫びも聞こえてきた。「大手メーカーに属するブルワーがつくるビールはクラフトではない」という訴えだ。それはちょうど、本当のクラフトブルワリーが培ってきた、素晴らしくて文化的な特徴の面で、事を有利に進めようとしている動きであり、彼らはそれを利己的だと言う。弊誌とおそらくかなり多くのクラフトブルワーを含む多くの向きが、業界の発展を注意深く分析し続けてきた。
前号の「クラフトビールは死んだ?」で、「クラフトビールとは何か」という、用語そのものの問題を提起した。日本での小規模醸造の始まりからキリンが参入するまでの20年間、どの消費者団体も、どの業界団体も、クラフトビールを定義してこなかった。日本に200を少し上回る小規模ブルワリーがあってその存在が民主的に認められてきたのに、である。しかし多くの面で、ビール系飲料における日本のクラフトビールの製造量のシェアは1%に満たず、大手メーカーはこの世界にほとんど注意を払ってこなかった。しかし、長く無視し続けるのは難しくなるほど、日本でのクラフトビールの販売は好転して成長してきた。特に、大手メーカーの主力商品を中心とするラガーの消費がここ数十年で落ち続けてきたことを考えると、なおさらである。
米国のビール市場では、クラフトビールの世界と大手製ビールの世界が近づいたとき、クラフトビール会社と大手メーカーの間で感情の爆発を起こし得る、ぞっとするような醜い衝突が発生した前例がある。日本のビール市場でも同様の不和と相互間の憤りが起きるだろうか。教訓を得るために、米国のクラフトビールの成長の歴史に注目することは役に立つ。
ブルックリンブルワリーの共同設立者の一人であるスティーブ・ヒンディーは、2014年に発行された「Craft Beer Revolution: how a band of microbrewers is transforming the world’s favorite drink 」の中で、重要なエピソードを語っている。アメリカでは、クラフトブルワリーとの大手メーカーの間の深い溝を多くの人がよく知っている一方で、その溝がどのようにしてできたのかを正確に知っている人はほとんどいなかった。日本ではそうした対立は(まだ)存在していないが、消費者にとっては不可解なものであるように思われる。日本には多様な規模の清酒メーカーが何百も存在しているが、数世紀にわたって多かれ少なかれ平和的に共存してきた。ビール会社も同じことができるはずだ。
米国では流通も主要な引火点であり続けてきた。流通に関する問題はいわゆる「3段方式」に由来していて、これは日本では見られない。米国の州法によると、ブルワリーはまず販売代理権を持っている業者に売らなければならない(興味深いことにこれはカリフォルニア州とニューヨーク州は除外されている)。そうした販売代理店はその後、小売店に売っていく。この構造は、数十年前からの妥協の名残だ。なぜなら禁酒法支持者は、販売代理権や小売店に対するブルワリーの所有権が、社会崩壊の大きな要因になると信じていたからである。販売代理店は緩衝材のような役割を担っている。キリンやサッポロといった会社が全国に小売チェーンを持っている日本において、この事態を不可解に感じる人が多いのは当然のことだ。しかし社会はばらばらになっておらず、クラフトブルワリーは繁栄している。
アンカースチームの設立者で、米国のクラフトビールの「ゴッドファーザー」であるフリッツ・メイタグは、クラフトブルワリーに販売代理店を抱き込むよう、しきりに促した。なぜならそれが、大手メーカーが販売代理権を所有して独占を進めていくのを防ぐことになるからであった。しかし、理想と現実の間には影がある。少なくとも一つの大規模なブルワリーはもともと複数の販売代理店に多大な影響力を持っていて、そこから大きな亀裂が生じた。
業界の争いの元はすでに1990年代から存在していた。前号で言及したように、ボストンビアカンパニーの最高経営責任者(CEO)であるジム・コッホは、つまらないビールをつくる巨大企業に対抗する小さな存在として、同社を擁護するラジオとテレビの広告を打った。敵対心を打ち出した彼のマーケティングは非常に効果的だった。そして同時に、クラフトビールは大手メーカーの市場シェアを少しずつ崩していった。ヒンディーが「どう猛なボス」と評するアンハイザー・ブッシュ社のオーガスト・ブッシュ3世は、流通の段階でクラフトビールに反撃した。1996年に彼は販売代理店に対して同社の製品を売ることに100%専心することを要求したのだ。そのために、報奨のセットを提供することによって取引の条件を緩和した(これは、販売代理店にとって生命線である同社の製品を扱えなくなるかもしれないという恐れを覆い隠すための方策とも言える)。これは事実上、独占を進めるための動きと見なされ、アンダーソンバレーを含むカリフォルニアの四つのブルワリーは、米国司法省反トラスト局に訴えた。しかし政府は何も対処をせず、痛みが出始めた。小さなブルワリーは販売代理店から無視されたり取引量を落とされたりする問題に直面した。その直後から、チャーリー・パパジアンの組織(前号参照)はクラフトビールの定義付けを推進するようになった。この定義が今日のブルワーズアソシエーションの公式な定義の基礎となり、さらには「『私たち』対『彼ら』」という考え方を強固につくり出すこととなった。
ヒンディーは流通ネットワークの束縛からの解放を、米国のクラフトビールの発展において重大な瞬間の一つであると見ている。すべての販売代理店がアンハイザー・ブッシュの圧力に屈したわけではなかった。ヨーロッパからの輸入ビールがクラフトビールのために道を拓き、いくつかの販売代理店はクラフトビールに対する消費者の忠誠心に注目した。販売代理店はクラフトビールを扱うことでチャンスをつかみ、より良い状態のビールを売るために自社のスタッフを教育した。そうした取り組みのほとんどは成功した。米国のクラフトビールはこの変化によって爆発的な成長を遂げることとなった。
しかしながら、クラフトブルワリーがより多くの販売代理店を通して販売ペースを上げることができたことは、単に、彼らの悩みの種がなくなったことを意味しているわけではなかった。販売代理店は多くのブランドを扱い、常にすべてのブランドを熱心に売っているわけではなかったからである。いくつかのブランドのラインナップは衰えていった。これは米国のブルワリーから聞かれる、最も大きな悩みの種の一つである。販売代理店の挑戦的な取り組みを通して、ブルワーたちを指導するために多くの会議やセミナーが開催されているにもかかわらず、なぜブルワリーは販売代理店を変えられないのか。それはフランチャイズに関する法律があるからである。もちろん販売代理店は一般的に怠惰ではなく、クラフトビールを一生懸命に売っている。彼らはいくつかのクラフトビールのブランド確立を支援するため、時間とお金を注ぎ込んでいる。ブルワリーが販売代理店をすぐにライバルであるほかの販売代理店に切り替えることができるとしたら、元々取り引きしていた販売代理店がしてきた投資は無駄になる。それゆえフランチャイズに関する法律では、ブルワリーは、販売代理店が自社のブランド確立のために注いだリソースを、契約に基づいて買い上げなければならないと定めている。そしてその際の契約は、数十万ドルにも上るものである。クラフトブルワリーはこれらの法律の推進役にはなっていない。
米国に輸出をしている日本のブルワリーのほとんどに知られていないことだが、フランチャイズに関する法律は彼らにも適用される。定められた輸入代理店と販売代理店を通してのビールの販売ペースが満足のいくものでなかったとしても、ブルワリーは解消してはならないであろうパートナーシップに基づいて、資金を工面せざるを得ないかもしれない。米国への輸出を検討している日本のブルワリーは、将来のパートナーを注意深く調査するのが賢明だろう。現在日本のブルワリーが米国への輸出をしていなかったら、この3段方式は彼らにとって重要性をほぼ持たない。
日本のブルワリーが樽、ビン、そして缶に詰めたビールを直接バーやレストランに売るのは当たり前のことだ。佐川急便やヤマト運輸といった配送業者による冷蔵で輸送するサービスのおかげでこの販売方法が容易になっている。ブルワリーが自分の主導権を取り損ねることを除いては、消費者に商品を提供するのを妨げるものはほとんどない。筆者が話をした国外のブルワーの大多数にとって、日本のブルワリーがビールを消費者にも直接配送が可能であるということは衝撃的なことなのだ。多くのブルワリーはウェブ上に販売サイトを持ち、さらにそれほど多くはないが、さまざまなブルワリーの製品を扱う小売のサイトもある。クリックさえすれば玄関までクラフトビールを運んでくれるのだ。日本に住んでいるほとんどの人々が当たり前のようにこの自由と便利さを当たり前だと思っている。
静岡県伊豆市の修善寺にあるベアードブルーイングのブライアン・ベアードは、国内外の公の場でこの話題に言及してきた。
「駆け出しの小さなブルワーとしては、少量で愛すべき手づくりのビールを売り出すために、法律面などで、できるだけたくさんの自由を得たいでしょう。米国で流通の各レベルがクラフトビールに熱い視線を送るようになるまでずっと、私は3段方式はクラフトビール市場の成長を阻害する主たる要因であったと考えています。日本においては、法的効力を持つ3段方式がなく、このことが小さなブルワリーのためになっているというのが私の見解です。一方、日本にはすでにある程度の量のクラフトビールを扱っている比較的大きな販売代理店がなく、そのためクラフトブルワリーが急速に著しい成長を遂げるのが難しくなっているのは明らかです」
言い換えると、3段方式の存在は両刃の剣であり、その不存在も同様であるということだ。実際、日本には、各地に地域に非常に密着した流通を担う企業である問屋が存在し、それがある種の3段方式として機能している。京都の山岡酒店のように、非常にまれではあるが、クラフトビールに特化した問屋もある。問屋は日本の大手メーカーがビールを地域の飲食店に流通させるのために頼っている存在だが、クラフトブルワリーにとっては、まだそういう存在ではない。日本のクラフトブルワリーは飲食店に直接販売しているため、問屋に頼ることはそれほどない。
原則的には、日本の大手ビールメーカーは、築き上げたネットワークを使えば小規模ブルワリーを最終的に市場から締め出すことは可能であるが、小規模ブルワリーはそのネットワーク、すなわち問屋を経由する方法を回避したため、当然の結果として大手メーカーとの間の摩擦が生じなかったようである。筆者はこのことを日本の大手メーカーで比較的上位の役職に就いている社員の何人かに伝えてきたが、彼らは同意してくれたように思う。しかしまだ疑問は残る。それは、もし法的に3段方式が存在した場合、日本の大手メーカーは前述のブッシュ3世のようなことをするだろうかということだ。
協力
日本の大手メーカーは、1994年の地ビール解禁の後、日本での小規模ブルワリーの立ち上げに関係し、そのうちいくつかは、スタッフを選出し、小規模の醸造ができるように訓練した。設備や樽を大手メーカーから譲り受けた小規模ブルワリーさえ複数ある。筆者はここ数年間、大手メーカーに所属する比較的古いブルワーの多くにその理由を聞いてきた。答えは全く同じだった。それは、小規模ブルワリーは同じビールの世界の一員であり、手助けをしたいから、というものである。確かに、そうしたくなるための潜在的な動機はあったと読者の方々は思うかもしれない。そこに陰謀があったと言いたい人もいるかもしれない。しかしおそらく、そうしたことはなかった。おそらく、大手メーカーは長年の経験から先見の明でもって、自分たちは協力的な取り組みをすべきであると理解していた。それから20年後、彼らがクラフトビールの世界に分け入ってきた現在、抵抗はほとんどなく、クラフトビール業界は20年前の彼らの好意に少しの借りがある。ここで指摘しておくべきは、現在サントリーがノンアルコールビールの特許をめぐってアサヒビールを訴えていることだ。ビール業界は、日本の有名な和の美徳で完全に満たされているわけではないが、大手メーカーと小規模ブルワリーの間で目下衝突がないのを見るにつけ、ある種の文化的な影響が作用していると思われる。
米国においても状況は似たようなものだった。弊誌2014年秋号のインタビューで、シエラネバダの設立者で最高経営責任者のケン・グロスマンが以下のように指摘している。米国のクラフトビール革命の黎明期に、彼は大手メーカーのスタッフに技術面の支援を仰ぐことができた。フリッツ・メイタグを含む米国のクラフトビールのほかの先駆者たちも同じことを言っている。メイタグは大手メーカーをけなす発言をしたクラフトビールコミュニティーのメンバーを厳しく非難している。彼らが初期に手助けをしてくれたことがその理由の一つである。とはいえ、巨大なブルワリーに対して怒りや不満をぶちまけることについて、クラフトブルワーに責任を押し付けるのは無理がある。実際には、蓄積した彼らの擁護の声がまさに、クラフトビール運動に強みを与えてきたのだ。根本的に、ビール業界はしばしば見られたり描かれてきたりしたように、善と悪にはっきりと割り切れる世界ではない。
ヒンディーは、彼が考える米国のクラフトビール運動における重要な瞬間ついてさらなるコメントを求められたとき、ブルワリーに対する課税額の削減に注意を促した。1976年に米国議会は、年間製造量が200万バレル以下のブルワリーに対して、1バレル(約119リットル)当たりの課税額を、最初の6万バレル(これは日本のどのクラフトブルワリーよりも大きな規模である)を製造するまでは2ドル下げることを決定した。これは当時経営に苦しんでいた40以上のブルワリーにとって非常に意義深い救済となった。法改正は大手メーカーのロビー活動によって実現した。200万という数字は同時に、米国における小規模ブルワリーの特徴を定義付けることとなり、その定義は近年、サミュエルアダムスとイングリン(米国で最古のブルワリー)を含めるためまでずっと変わらなかった。1991年、驚くべきことに議会が課税に関する法律を再び改正し、小規模ブルワリーのための7ドルの税率をそのままとした。ここでヒンディーの著書から一部を引用したい。
「1995年のクラフトブルワーズ会議でのスピーチで、『小規模ブルワリーと大規模ブルワリーとの税率の違いを維持するためには、大規模ブルワリーがカギとなる』とキング(※)は言った。ストロー、クアーズ、ミラー、アンハイザー・ブッシュ、G. ハイルマンブルーイングカンパニーなど、すべてが小規模ブルワリーのための1バレル当たり7ドルという税率を維持するための支援をしている。『このことが、大手メーカーのビールを中傷する声を聞いたときに困惑してしまう理由の一つである』。キングはこうも言った。『皆さんブルワーの誰もが世界で一番のビールをつくっていると言うことができるし、皆さん全員が素晴らしいビールをつくっていると確信している。しかし、話したり書いたりするなど何らかの方法で誰かのビールを中傷すると、私たちの業界を傷付けることになる』。この賢明なる言葉は今もなお真実であり続けている」
※ヘンリー・キングは大規模醸造事業者団体である米国ブルワーズアソシエーションの代表である。
この1節を引用したポイントは、これが日本での状況に関する議論の基準を示していることだ。日本のクラフトビールを窮地に追い込んでいる(そして消費者が払う高い値段の原因となる)大きな問題は、1リットル当たり222円という途方もない税率である。これが日本のほかの種類の酒に適用されている税率よりも高いことを考えれば、この税率を過酷で不公平だと言うことができるだろう。日本の政府にビールの税率を下げさせるためには、奇跡以外の何物でもなく、大手メーカーによるロビー活動が必要である。税率が高い理由はほかにもある。政府は、財政面強化の方法を見出すため、もがいている。それは消費税率が2014年に5%から8%になったことからも分かる。政府が引き続き、巨額の赤字を補うために消費税を10%に上げようとしている状況で、ビールに対する税率を下がるチャンスはほぼないと思われる。
大手メーカーが小規模ブルワリーのためにできうること、そしてそれをする理由は何だろうか。懐疑的あるいは冷笑的であるかもしれないが、「同じビールの世界」という主張に戻ろう。繰り返しになるが、ビール消費の主流はここ数十年、下落し続けてきた。大手メーカーが成長しているクラフトビールの世界に参入してきた主要な理由は、確かに、縮小する消費量に歯止めをかけようとしていたからである。しかし、日本の大手メーカーは実際のところ、米国とは異なり、クラフトビール産業の成長によって市場シェアが著しく失われているわけではない。大手メーカーは二つの非常に大きな課題に直面している。一つは人口統計の問題で、彼らがこれを解決することはできないだろう。日本が高齢化社会であることは、酒を飲む人が減少していくことを意味している。もう一つの課題は、人々が国産ビールではないアルコール飲料を嗜好していることである。大規模ブルワリーは基本的にもっとたくさんの人にビールを飲んでもらいたいと思っているが、問題を複雑にしているのは、大手メーカーを保有する規模の大きな持ち株会社は、ビールの競合製品を扱う部門を持っている可能性があるということだ。大規模ブルワリーは少なくとも、ビール文化と消費を支援することに率直な興味を持っていて、クラフトビールはそうした取り組みを助けている。
日本の大手メーカーが自身と小規模ブルワリーを助けてくれる強固なビール文化を維持することに本当に興味を持っているならば、自家醸造を根本的に阻害しているばかげた法律(アルコール度数1%未満の飲料をつくることは認められているが、いったい誰がそんなことをするというのだろうか)を撤廃するために、彼らは一致団結して圧力をかけるべきだ。これは決して容易なことではないが、すべてのクラフトビール愛好者に対する誠意を示す素晴らしい証しとなるだろう。手始めに、税務当局は大切にしている税収を失うことを恐れて、人々が家でしか飲まなくなることに警鐘を鳴らすことは確実だ。同様に、確かに大手メーカーの重役たちも、人々が家で醸造して飲むようになれば営利目的のビールが飲まれなくなってしまうかもしれないと危惧するかもしれない。クラフトブルワリーでさえも同じように思うかもしれない。しかし、現在100万人以上の自家醸造者がいる米国では、数十年のデータによって、そうした危惧が真実にはならないことが示されている。ビールとの繋がりが強い人の場合、彼は家以外でもより多くの量のビールを飲む傾向にある。多くの人が起業家となってクラフトビール業界に参入し、そうした動きが驚くほど多くの仕事も創出するのは、数多くの高名な経済学者の調査が示す通りだ。
しかし、これらすべてが実際に起きるとは限らないので、大手メーカーがクラフトビールの世界に参入したがる主要な理由に戻ろう。つまり、彼らはそこにチャンスを見出しているということだ。クラフトビールの世界は魅力的でエキサイティングで、そして最も重要なことに成長している。これは日本の小規模ブルワリーの努力によるものであるし、海外のクラフトビールの日本輸入代理店もこのダイナミズムに混ざって貢献している。この素晴らしい市場を築いてくれたクラフトブルワリーに感謝しよう。日本の大手メーカーは単にその魅力を奪うことだけに興味があるのか。それとも貢献する気はあるのか。彼らは単にクラフトブルワリーという名を得るだけなのか。それともクラフトブルワリーの精神と慣習を受け入れるのか。
事例研究: スプリングバレーブルワリー
日本の小規模ブルワリーは、潜在的な搾取と消費者の混乱に直面する際、自身の独自性と製品のより良い定義を争うように行い、自分をクラフトビールの飲み手と思う人のほとんどが、クラフトビールは特別な銘柄名やラベル、そしてさまざまなビアスタイル以上の意味を持っているということに同意していると思われる。そして、クラフトビールは小規模な設備で醸造されるという以上の意味を持つ、とも。さらに、品質を約束するのと同様、より深い顧客とコミュニティーとのつながりを巻き込んだ考え方とクラフトブルワリーは結び付いている。
キリンビールの100%子会社であるスプリングバレーブルワリーは、「クラフトブルワリー」の意味を、大手か小規模かを問わず、ほかのブルワリーよりじっくりと調査してきたように見える。そして彼らはクラフトブルワリーであると思われるものを盛んに抱き込もうとしている。彼らは自分たちがクラフトブルワリーだと心から思っているし、そう認められたいと思っている。

筆者は今年の3月のある夕べ、スプリングバレーブルワリーの社長を含む主要メンバーとともに、東京・代官山と横浜・生麦のそれぞれのブルーパブで過ごした。彼らは、スーツに身を包み、報道向け発表会でただビンを掲げるような堅苦しい面々では全くなかった。親しみやすく、明らかにビールを愛している(そしてどちらのブルーパブでもビールをたくさん飲んでいた)健全な人々だった。彼らのビールはどれも質が良く、興味深いことにビアスタイルに厳密に準拠してはいなかった。同社はビールと料理の組み合わせにも注意深く考えをめぐらせていて、どれも素晴らしかった。バーカウンターにはランドルが取り入れられており、しかもそれらは日本で見たことがないタイプのものだった。ランドルはビールにドライホッピングを施すのによく使われてきて、米国のビールマニアの間で人気がある。しかしスプリングバレーブルワリーでは(明らかに、キリンからの資金面と技術面の資源を得て)さらに改良を施し、ビールを注ぐとき、いつでもより安定して味わいが付けられるようにしていた。宣言通り、彼らは革新を起こしている。
しかしながら最も印象に残ったのは、彼らが熱心かつ精力的に質問をしてきたことである。彼らからは前号のこの記事のいくつかの点で筆者に議論を挑まんという意気込みを感じたし、筆者に彼らのビールに対する意見を尋ねてきた。一人のブルワーは、海外の飲むべきビールなど、あまり聞かれないことを聞いてきた。このような態度はブルワリーにとって良い前兆である。
スプリングバレーブルワリーのブルワーのような人々が、日本におけるクラフトビールとは何たるかについて一生懸命に創出しようとしている一方で、筆者はその答えを保留にしていた。例えば日本で2番目に大きな出版社が巧妙なビール雑誌を立ち上げたら、自分はどう感じるかについても考えてみた。クラフトビールのあるライフスタイルへの愛情よりも、好機を敏感に感じ取り、競争に参加してくるような、優れた資源を持つ出版社に対して、筆者および筆者の小さなチームはどのように反応するだろうか(この状況はムック本や1号限りの雑誌によってしばしば起きる)。おそらくそれは多くの小規模ブルワリーが感じているところだろうし、筆者もまたそうした立場に置かれている彼らに深く共感している。労働のために1997年に来日して以来、筆者は彼らの苦闘を目の当たりにし続けている。
スプリングバレーブルワリーの二つのブルーパブを訪れたのと同じ週に、箕面ビール直営店である新しいビアベリーの開店に伺うため、大阪に向かった。そこで、社長であり醸造長である大下香緒里とクラフトビールの発展について話をした。彼女やほかのクラフトブルワーは、大手メーカーが持つ「クラフトビール」に対する動機とその用語の横領について、真っ当な危惧を抱いていた。彼女は、筆者が考えもしてこなかった、二つの興味深い質問をしてきた。「スプリングバレーブルワリーの社長は現在もキリンの社員なのか」。答えはノーだ。以前はキリンの社員だったが、現在はスプリングバレーブルワリーの8人の正社員のうちの一人である。「彼らのビールは代官山と生麦にある二つの設備で醸造されるのか」。50%以上のビールが同設備でつくられるが、残りはキリン工場内の小規模な設備を使ってつくられる。
これらの質問(と回答)は今のところ何の線引きも定義もしていない。しかし、大下のような小規模ブルワリーのブルワーが、彼らにクラフトブルワーとしてのアイデンティティーを与えるものについて非常に注意深く考えているのを知ると励まされる。彼女とほか数名がしている前述の質問によって、クラフトブルワーの古参の番人の間でも、スプリングバレーブルワリーのような存在を受け入れる余地があるかもしれないことが明らかになっている。より大きな問題、すなわちスプリングバレーブルワリーがクラフトであるどうかについては、今後消費者が決めることだ。
スプリングバレーブルワリーには必ず再度訪れたいと思っている。一方、筆者はあの夜、ビアベリーで会った人々が皆陽気であったことも覚えている。彼らは笑い、ともに抱き合い、お祭り騒ぎを写真に収めていた。この真の意味でのコミュニティーも、決して捨てきれないものだ。日本各地の最良の小規模ブルワリーは皆、こうした忠誠心のある小規模なコミュニティーをつくり出してきて、彼らの一人ひとりは細胞のようにお互いにつながっている。スプリングバレーブルワリーにとって大きな挑戦となるのは、「クラフトビール」をつくることではなく、時間がかかるが、真の意味でのコミュニティーを創り出すことにあるだろう。一方で、日本の小規模ブルワリーは、それぞれのコミュニティーを強くする努力をし続けることだろう。独自性を持つための挑戦は、しばしばこうした形を取る。
クラフトビールは日本において死んではいない。まさに始まったばかりである。
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