Firestone Walker Brewing Company’s Matt Brynildson

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マット・ブライニルドソンは、カリフォルニア州沿岸部の中央部、パソロブレスにある、ファイアストーンウォーカーというブルワリーの醸造責任者である。彼が同ブルワリーの創業者であるアダム・ファイアストーンとデビッド・ウォーカーとつながることができたのは幸運だったと彼は言う。この二人の創業者もまた、ブライニルドソンが同ブルワリーにいるということが幸運だと思っているはずだ。彼は世界で最も尊敬されている醸造者の一人だからである。創造性は往々にしてブルワーの成功を保証する。しかしブライニルドソンの場合は、科学がブルワーとしての基礎になっていて、仕事上、科学から
いまだに気づきを与えられることがある。




クラフトビール業界にいる多くの人と同じく、もともとは自家醸造をしていましたね。ビールづくりが趣味から仕事になったきっかけは何ですか。

私はカラマズー大学(ミシガン州)の科学に関する学部課程に通っていて、卒業後は医学部に進学したいと考えていました。同時に、香辛料の抽出物をつくっている地元のカルセクという会社でインターンをしていました。天然の香辛料と、ホップエキストラクトを含む香味抽出物に関してトップの会社です。 私は幸運にも社内のホップの研究室に配属され、卒業後に採用されることも約束されました。さらにカルセクは、私が生化学を勉強するためのお金も出してくれたのです。結局そこで3年半働きました。

会社はシカゴにあるシーベル醸造技術研究所が提供する醸造に関する短期コースも受けさせてくれました。クラフトビールが米国で盛り上がり始めた1990年代中ごろのことです。ある日、グースアイランドというブルワリーの従業員が私のところに立ち寄って、「シカゴに新しくつくる製造工場で働けるスタッフを探している」と言ったんです。研究室の実験用ネズミではなくブルワーになれるのだと瞬時に分かりました。そうしてカルセクを退職して、ビールをつくるためにグースアイランドに移ったのです。

カルセクでの仕事の経験はグースアイランドでも役立ちましたか。またカルセクでは醸造に役立つような研究に携わっていましたか。

カルセクの後期経営者だったポール・トッドは、本当に興味深い化学者兼ブルワー兼ビジネスマンでした。彼はホップの化学的な性質に関して多くの特許を持っていましたし、研究にもかなり力を入れていました。私は主に、ビールのIBU値を分析したり、分析のための試料を用意したり、ときにはガラス器具の洗浄もしたりしました。(笑) しかし次第に、ベータ酸に関する研究に深く関わるようになりました。ベータ酸はホップの抽出の過程で出てくる不要物ですが、これを使用可能な抽出物に変換する研究に携わったのです。これはカルセクがほかに先駆けて進めた研究で、特許も得ています。

カルセクではストローズビアのブルーマスターであるルディー・ヘルドとも一緒に仕事をするようになりました。彼はドイツ・ミュンヘンのヴァイエンシュテファンの醸造学校を卒業していて、本当に優れた師でした。カルセクの敷地内には醸造に関する大規模な図書館がありましたが、一方で、この、ビールについて話すのが大好きなブルーマスターもいたのです。私が自家醸造をしていて、分からないことが出てきたらルディーに聞いていた。そのときはわかりませんでしたが、ビールの化学的な側面についてかなりレベルの高い教育を受けていたのです。私がグースアイランドに移った当初、ビールの品質を十分に保つための研究設備がそこにはなく、私の研究経験だけが頼りでした。そこで私が研究設備を構築しました。研究に関する経験があったからこそ、グースアイランドに入ることができた。醸造に関する創造性はのちに学ぶこととなりました。

1996年から2000年までグースアイランドに在籍して、プロのブルワーとして活動し始めましたが、医学部にも行くこともできましたね。ビールをつくることが自分のしたいことだと気づいたのはいつですか。

家族は私がブルワーになることを断固反対していました。しかし私は、毎晩帰宅すると医学書は手に取らずに、ビールに関する本を読みあさり、オタクモードに入っていました。情熱を注げるものに人生を捧げるべきです。

ホップはビールの重要な原料としての地位を確立してきました。あなたから見てその状況はいつ始まりましたか。

グースアイランド10周年のころ、100種類の異なるビールをつくることに着手しました。グースアイランドの創業者であるジョン・ホールの息子、グレッグ・ホールが主導した組織の中で、創造性が急激に高まりました。つくったビールの大部分を占めたのは、人気が出てきていた、ホップの効いたスタイルです。開発に携われたこととを非常に誇りに思うビールの一つにグースアイランドIPAがあり、これは1990年代半ば当時、かなり前衛的なビールでしたが、会社に決定的な成功をもたらしました。私たちは複数の品種のホップをブレンドし、ドライホッピングの実験をしていました。そのころは、それらについて述べている教科書も発行物もなかったのです。

ホップ探求をし始めて2015年で20年になりますね。まだまだ学ぶべきことはありますか。

ありますよ、恐ろしいほどに……。理解できていないことが信じられないほどまだまだたくさんあるのは明らかです。ほとんどの研究はホップの味と香りに集中しています。新しく、興味深い特徴や、あるいはより際立った特徴をつくり出すような、酵母がホップの化合物と相互作用を起こす方法について多くの議論があります。それから、毎年ホップの新品種が、めまいがするほど多く登場します。新しい品種に遅れを取らないようにしなければいけないし、それらの独自性は何なのかを把握するのにも専念しなければなりません。クラフトビールムーブメントはホップの研究方法のあり方を変えてしまいました。

Winemakers experimenting with new blends of beer Winemakers experimenting with new blends of beer

ビールづくりにおいてホップに関する哲学はありますか。

自分たちのビールを「中央海岸スタイル」と呼んでいます。カリフォルニア南部、あるいは北部のブルワー仲間がつくったビールと比べてみても、私たちのビールはより細部を洗練させていて、バランス重視です。米国中西部でビールをつくってきたので、「ホップの特徴がよく出ている最良のビールは西海岸からのみもたらされる」という考えには同意しません。スリーフロイズブルーイングとサーリーブルーイング、そしてグースアイランドのホップの特徴がよく出たビールを飲んできましたが、ただただ美味しいです。米国のいたるところで、ホップの特徴がよく出た素晴らしいビールがつくられていると思います。そして、刺激が鼻を突くだけのものよりも、調和が取れていて、2パイント目の注文を促すようなビールをつくり出そうとしています。そのために細心の注意を払っています。ホップは大体ブレンドして使います。これは味をつくる技術と同じくらい重要な、生き残るために必要な技術です。ホップのブレンドによってより深い複雑さを出せるだけでなく、季節やその年に取れるホップに影響されることなく同じ味が出せるようになり、一貫性という利点も手に入れられます。

「生き残る」とはどういう意味ですか。

かなり多くのブルワーがそうですが、もし仮にある一つのホップを気に入っていて、しかし今年はそれが入手できなかったり、今年のものの香りがあなたの求めるものでなかったりしたら、どうすればいいのでしょうか。例えば、私たちがつくっているユニオンジャックという銘柄では、五つの異なるホップをブレンドして使っています。また、来年のためにルポニックディストーションという新作ビールを現在開発しています。ここは焦点を置いているのは、90日ごとに実験をして、使用するホップの品種を変えたり、ブレンドするホップの比率を変えたりすることです。新作にはおそらく、七つの異なるホップを使うことになるでしょう。そして、一つの品種を強調します。全く同じ7種のホップを使っても、どのホップを強調するかによってまったく違う味の組み合わせができあがります。新しい品種にかなり頼ることになるでしょうね。ドイツ産の品種で興奮するほど素晴らしいホップがあります。マンダリーナババリアという品種の系統で033という番号が付いていますが、まだ名前すら付けられていません。桃のような興味深い香りに本当に興奮しました。この新作ビールには、比較的少量の面白いホップをブレンドして使うでしょう。これは生き残りと持続可能なモデルの話につながります。しかし、新作のコンセプトと新作そのものをつくり出せることの方に、もっと興奮を感じています。

醸造に関してほかの哲学はありますか。

ホップを麦汁に漬け込む時間を短くしているということもあります。私たちはホップの精油に集中的に配慮していて、出来上がりのビールに雑味のない精油の特徴が加わっているようにしようとしています。それはホップをビールに長時間漬け込んでタンニン(ポリフェノールの一つで渋い)や野菜のような特徴が抽出される方法とは対照的です。ドライホッピング中に活性する酵母を使っていて、これが味わいを形成するのにいくらか役割を果たしているのではないかと思います。

どうしてグースアイランドからファイアストーンウォーカーに移ったのですか。

グースアイランドでは本当に申し分ない仕事をして、家族と思えるようないい会社ために働いていました。しかし私はそのとき若く、「自力で何でもできるし、もっと上のレベルの責任を負うこともできる。ほかのブルワリーでもう少し創造的な仕事の管理もできるかもしれない」と密かに考えていたのです。そして実質的に引き抜きの形で、ここカリフォルニア州サンルイスオビスポ郡にあったSLOブルーイング社に来ました。2000年に醸造責任者に就任し、1年半後にブルワリーはファイアストーンウォーカーに売却されました。私はそのまま残り、こうして今ファイアストーンウォーカーにいるというわけです。

買収の目的は何だったのでしょうか。また、あなたはなぜ残ったのでしょうか。

SLOは多くの銘柄の開発をさせてくれ、移籍した年にグレートアメリカンビアフェスティバル(GABF)でスモールブルーパブオブザイヤーを受賞しました。しかし結局、この受賞は財務上の解決策にはなりませんでした。カリフォルニア州サンタバーバラで生まれたファイアストーンウォーカーは、当時もっと大きな製造設備を必要としていて、SLOの買収が最適だったのです。買収の最中は恐ろしかったですね。ブルワリーが少しの間、閉鎖されたのですから。

Founders David Walker and Adam Firestone Founders David Walker and Adam Firestone

ファイアーストーンウォーカーのどんなところが魅力的に思えましたか。

非常に明白だったのは、アダムとデビッドが本当にしっかりしたビジネスマンであり、彼らのために仕事をしたいと思わせるほど「いい人」だということです。ここで働くことが最適だと言えました。私はここの設備が好きになり、うまく動かす方法がはっきりと分かっていました。ブルーパブと小規模仕込みの創造的な面もいい。したいことが何でもできるし、お客と直接話ができます。私は醸造工程について夢中になって話し出しますが、ブルーパブで最先端の科学を応用するのは難しいですね。ここには、8人のスタッフが所属している研究室と、官能評価をする部門があります。優れた技術と設備を持つのに十分なビールをつくっています。設備の小ささは、好奇心でもって仕込みごとに違うビールをつくってみるのにちょうどいいのです。ブルワリーの規模としてはほとんど完璧です。

完璧な規模ということですが、ベルギーのデュベルが最近、ファイアストーンウォーカーの株式を取得しました。アダムとデビッドは規模をもっと大きくして、さらなる成長を望んでいるように思えます。

私たちは、自分たちの設備規模でつくれる限界の量まで達しそうな状況でした。次の設備増強は莫大な資金が必要となる見込みでした。強力な支持と基盤を得ていましたし、毎年二桁の成長を遂げていましたので、おそらくリスクは高くありませんでした。しかし、この状況を見つめて、ブルワリーに膨大な額の再投資をする時期にあるのかどうかを自問しました。外から協力者を連れて来て私たちのスタッフにある種の安定を与えるのは、いい方法なのか。もしそうなら、誰を協力者とすべきなのか。未公開株式か、それとも巨大ブルワリーか。もしくは、同じ考えを持つほかのクラフトブルワーを探すべきなのか。

デュベルモールトガットは素晴らしい。150年の歴史を持つベルギーの会社で、経験も豊富です。 彼らはエールをつくっているブルワリーです。 私はいつも彼らのデュベルという銘柄を楽しんでいて、「美味しい」と思ってきました。技術とクラフトビールづくりの面で同じ考え方を持つところと協力関係を築くのは、お互いにとってプラスになる関係のように思えたのです。デュベルモールトガットは私たちとの協力関係の前に、ブールバードブルーイングとオメガングを買収しました。この二つは私たちが狂おしいほどに尊敬してきたブルワリーです。私は最初から買収に賛同していました。

会社として、そしてチームとしてやっていることを認められ、しかし完全な独立を保っているのは面白いものです。それを投げ打ちたくはありません。デュベルモールトガットへの株式売却は、企業文化の面で、私たちが今しているあらゆることを強化すると感じています。今や、中西部(ブールバードブルーイング)と北東部(オメガング)に協力ブルワリーを得たことにもなりました。いつか、私たちはお互いのビールをそれぞれの設備でつくり、お互いに支援し合い、はるかかなたの市場に新鮮なビールを提供するような日が来ると思います。

規模の利点の話題に戻ります。あなたは現在、あなたが飲みたいビールをつくることができていますが、多くの大規模ブルワリーでは人気がある味わいとスタイルのビールをつくらなければなりません。そうしなければならない日はやはり来るのではないでしょうか。

世間で今なにが人気なのかということは分かっています。私たちはビールファンとして飲みに出ることもあるからです。しかし、次のビールをつくるために決めるべきことは社内で決めます。それが私たちの商品のラインアップを十分なものにし、創造性を発揮させてくれます。しかしながら、ウーキー・ジャックという銘柄は、販売担当チームが「ブラックIPAは今とても人気があるので、我々もつくる必要がある」と言ったことから生まれました。私は「ブラックIPAはつくりたくない。トレンドを追いたくない」と答えましたが、こう考え始めました。「これまでいつも、ライ麦を使ったビールをつくりたいと思っていたし、ライ麦ビールをつくるならば濃色のスタイルがいいだろう。そしてホップがきいたライ麦ビールが好きだ。濃色IPAのようなビールをつくろう。ただしライ麦とスパイシーなホップをふんだんに使って、面白くして」。アイデアは販売・マーケティング担当から出てきましたが、その後私たちがひねりを少し加えたのです。

弊社のセッションIPAのイージージャックも同じです。セッションIPAについては、ちょっと変わったペールエールくらいに思っていました。しかし、ドイツで盛んにつくられている面白いホップを見て、巷のセッションIPAスタイルから少し離れたビールをつくるよい機会だと思ったのです。なんと呼ばれても構いませんが、イージージャックでは、主にマンダリーナババリアンホップに際立った、新しいホップ品種の特徴と面白い特徴が爆発しています。

Head brewer Dustin Kral Head brewer Dustin Kral

木樽を使ったビールづくりはここではいつから始めましたか。

ダブルバレルエールという銘柄をつくる際に、一次発酵でオーク樽を使ってきたことは、私たちがほかのブルワリーと違うことの証しであり続けていました。1996年にこの小さなブルワリーがワインがよく飲まれる地に生まれ、地元の市場にビールを売り始めました。サンタバーバラというワインの影響が強い土地でですよ。ビールと言っても、ミディアムトーストのアメリカンオーク樽で発酵させたビールです。ワイン地域との強いつながりがあったのです。

デビッド・ウォーカーは英国出身で、マーストンズというブルーパブと「バートン連合システム」をいつも意識していました。後者は、産業用として唯一の実行可能な木樽発酵工程です。もちろん、ベルギーのブルワリーは小規模の仕込みでランビックやほかの木樽発酵によるビールを以前からつくっていましたし、歴史上のある時点では、すべてのビールは木樽に詰められて輸送されていました。しかし、木樽発酵を産業用として使用可能なものにしたのは、バートンオントレントのブルワーたちでした。

1950年代の英国のバートンオントレントでは、バス社が年に100万バレル以上のビールをオーク樽で発酵させていました。これは、アダムとデビッドが受け継ぎたかった我々の醸造の歴史の一部です。二人は、1990年代半ばに新しいクラフトブルワリーをつくることが本当に魅力的だと感じました。非常に画期的な思いつきで、二人がブルワリーを立ち上げてくれて本当によかったとつくづく思います。ブルワリーが始まった日から、私たちはいつも木樽を使ってビールをつくってきました。今となっては、私たちは長期熟成としての方がよく知られているかもしれませんが、今日これは非常に多くのブルワーがしていますね。

最初に発売した木樽熟成ビールは、2006年に私たちの10周年を記念したものでした。私はファイアストーンウォーカーに来る以前は、木樽熟成をたくさんしてきたわけではありませんでした。当時の品質管理担当のジム・クルックスは、木樽熟成の実験をしていました。私たちはありとあらゆる実験をしたものの、販売できるほどの量をつくってなかったことが課題でした。そしてアダムとデビッドが木樽熟成に関してまだ乗り気ではなく、十分な量うぃつくるきっかけがありませんでした。いつも、ミディアムトーストのアメリカンオーク樽を使って木樽熟成をしてきました。アダムとデビッドの信念からしたら、この新しい木樽熟成ビールのプロジェクトは突飛でした。初めて発売したのは、実験的につくったビールのすべてをブレンドしたものです。ビールのブレンドについて何の知識も持ち合わせていませんでしたが、周りにはワイメーカーがあります。彼らに来てもらって、ブレンドを手伝ってもらったのです。これは毎年恒例の取り組みになりました。

今年は、ワインメーカーと一緒に五つのビールをブレンドしました。それまでは毎年10銘柄をブレンドしていましたね。ブレンドの加減を調整するのに少し混乱することもありました。だから今年は少し数を減らしたのです。ワインメーカーは2ないし3銘柄のワインをブレンドするのが典型的なので、4、5個の銘柄なら彼らの許容範囲内なのです。

数年前からは、弊社の3つ目となる木樽プログラムとして、同じカリフォルニア州のブエルトンで一部の工程を行う「バレルワークス」を進めています。ここで麦汁をつくり、ブエルトンで木樽に入れ、そこで一次発酵と二次発酵をします。木樽はワイン樽として標準的なものから、ベルギーでよく見られるような500リットル樽まで、さまざまなものを使用してます。先ほど述べたジム・クルックスがこの一連の作業を管理しています。彼は品質管理責任者として12年もの間、ビールがブレタノマイセス(野生酵母の一種)に侵されないように守ろうと努力し続けてきました。しかし今では逆に、あらゆる仕込みでブレタノマイセスが植え付けられるようにしているのです!

木樽は、私たちの執念になりました。この地に来たことを非常に幸運だと感じています。もし1990年代半ばに自分でブルワリーを設計していたら、木樽を採り入れるなんてことはしていなかったと思います。事実、アダムとデビットとの最初のミーティングでこうしたやり取りをしました。「あなたたち二人は、一次発酵を木樽でするつもりなんてありませんよね?」「いや、するよ」「我々は今や成長したブルワリーで、多くの人々に向けてビールをつくっています。だから木樽で発酵させることにはなりませんよね?」「いや、するよ。これに異論は認めない。マット、木樽で発酵させることはこの会社を構成する要素の一つなんだ。わかってくれ!」。ここでは、木樽を使うことがブルワーになるための過程の一部になっているのです。これは私たちのDNAの非常に大きな部分を占めています。


traditional barrel-fermentation system 最近、ほとんどのブルワリーは発酵をステンレス鋼製のタンクで行っている。ファイアストーンウォーカーはいまだにこの伝統的な木樽発酵でもって、主力銘柄をつくっている

あなたは醸造に関してかなり多くの受賞を獲得しています。どの受賞が最も重要ですか。

ラッセル・シェーラー醸造革新賞は大きいですね。ブルワー仲間たちの手で選ばれるものですから。2007年より前の受賞者を何人か挙げると、ローグのジョン・マイアー、ベルズブルーイングのジョン・マレット、ニューグラルスブルーイングのダン・ケアリー、アンダーソンバレーのファル・アレンです。彼らは私にとって崇拝の対象です。彼らについて書かれたものは読んでいますし、追いつきたいと思って見習ってきました。本当に特別な賞です。しかし醸造はチームでするスポーツのようなものです。私たちは今、団結力があって、さらなる品質向上を追求し続けるチームになっています。

ほかのブルワリーからどれほど影響を受けていますか。例えば、先日主催していたファイアーストーンウォーカービアフェストに参加していた、ニュージーランドのガレージプロジェクト(本誌2015年夏号参照)はどうですか?

ガレージプロジェクトは、驚きと大きな影響を与えてくれた素晴らしいブルワリーの一つです。「自分は可能性あるものすべてを実験してきた」と思うときはいつも、ガレージプロジェクトのジョスやピートのようなブルワーを思い出します。彼らは、私とは全く違う視点からビールのことを考えていますね。ブルワーという仕事のなかで、素晴らしいビールづくりを求めてどこへでも飛んでいくことは、本質的に重要だと思います。世の中の非常に多くの創造力にあふれ、並外れた才能を持つ人々が、クラフトビールの世界に引き込まれています。ビールづくりの歴史のなかで、今ほどブルワーになった方がよい時代は、おそらくないでしょう。本当にたくさんの自由、本当にたくさんの素晴らしい精神、そして私たちの創造性を喜んで受け取ってくれるファンが、本当にたくさんいるのですから。

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