Founders Brewing Company

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ファウンダーズブルーイングカンパニーはアメリカ屈指のブルワリーである。そのことに異論を唱える人はほとんどいないだろう。しかし、このアメリカ中西部の象徴的なブルワリーが倒産寸前まで陥ったことを知っている人はほとんどいない。このブルワリーに信頼を寄せる現地投資家からの一時的な救済もあったが、共同創設者のマイク・スティーブンスとデーヴ・エングバーズはブルワリーのオペレーションを変えなければならないということは分かっていた。まあまあおいしいビールをつくるだけでは十分ではなかった。事業がつぶれそうになるのなら、彼らはせめて自分たちの信条に忠実になりたかった。個人の嗜好に従い、彼らの言葉で言う「自分たちのためにつくられた」、より極端なビールをつくることにした。これがスローガンとなり、会社は生まれ変わった。

スティーブンスは、街の一角全域を占めるまでに成長した、赤レンガでてきたファウンダーズ本社の二階にある、広々とした役員室に座っている。エングバーズのオフィスはその隣にある。いくつかのビルに遮られて見えにくくなっているが、彼の背後の窓からは都市水道の水源であるグランド川が数ブロック先に見える。この川は、最も活気に満ちたクラフトビール都市の一つであるグランドラピッズという趣あるダウンタウンを流れている。ここから西に進むとミシガン湖がある。アメリカ前大統領ジェラルド・フォードはこの小さな街の出身なので、ここには彼の大統領図書館や博物館がある。スティーブンスが話していると、彼に五大湖地域の北部訛りがあることがはっきりとわかる。

「最初は全然楽しくありませんでした。20年前のデーヴと私は、後にクラフトビールにのめり込んでいったほとんどの人と同様、自家醸造家でした。そして、この趣味を仕事にするために事業計画を立てたのです。お互い裕福な家庭出身ではなかったので、資金調達をしなければなりませんでした。事業計画の作成から開業と醸造の開始に至るまでに、およそ2、3年かかりました。1997年の開業当初は、他の新事業と同じように、悪戦苦闘していました。1990年代中ごろに人気だったビールをつくろうとしていましたが、正直なところ、本当にひどいものでした。銀行のローンの支払いを怠り、3年間ビール税の支払いもやめました。賃料も払ってなかったため、所有者からは払わなければ追い出すと通達されました。500,000ドルの借金がありましたが、銀行が与えてくれた支払いまでの時間は1週間でした。奇跡的に、私たちは自分たちがしていることを信じる地元の投資家と会う機会があったのです。彼は、じきじきに借金の保証人となり、家賃の支払いを助けてくれました。デーヴと私は、自分たちが招いた混乱から抜け出せるのであれば、自分たち飲みたいビールをつくり始めることを決心しました。その日以来、現在私たちのビールが持つ特長としてよく知られている、既成概念にとらわれない、野趣あふれたレシピを生み出しました。最初のビールはダーティーバスタードで、続いてブレックファストスタウトとカマジャンが誕生しました」

Co-founders Dave Engbers and Mike Stevens. In the early days, when the landlord threatened to lock them out, they bought cutters to get back in and brew! Co-founders Dave Engbers and Mike Stevens. In the early days, when the landlord threatened to lock them out, they bought cutters to get back in and brew!

借金の一掃と醸造レシピの方向転換は2000年から2001年の間に起きたが、すべての好転は、不屈の精神、懸命に働き続けること、そして希望を要する。ほかにはなにが必要だろうか。

「現在では起業家についての講義をすることがありますが、いつも誰かが『成功において一番重要な鍵はなんだと思いますか』と聞いてきます。私はいつも、『困難からの逃げ道をつくらないことです』と答えます。もしも私かデーヴの親が銀行宛に小切手を切ることが出来ていたら、私たちはさっさとこの業界から手を引いていたと思います。楽しいものではありませんでした。15年近くもの間、私たちはまったくお金を稼げていませんでしたし、給料さえありませんでした。必死にもがいていました。しかし、私たちには逃げ道がありませんでした」

スティーブンスは昼食休憩になると通りに出て、小遣い稼ぎのためにホットドックを売っていた、とファウンダーズの従業員が語ってくれた。会社の新しい方向性はうまく機能していたが、次の10年間はお金を失い続けた。スティーブンスは、この事業は自分たちの時間の大部分が水中にうもれた氷山だと表現した。

「成功を手にすることが出来たもう一つの理由は、私たちは自家醸造家であり、自分たちがつくるものにとても熱い思いがあったからだと思います。15年前、会社の綱領に最初に書いたことは、『なによりもプライド主導の会社であること』でした。世界最高峰のビールメーカーとして世に知られたかったのです。それが私たちが突き動かしています。ほかの皆が、とにかくやめろ、と言ってきても、それが私たちに興奮と情熱を持続させてくれています。ただやめなかったのです。やめるなんてことはできませんでした。前に進み続けました」

最終的に手に入れた成功を通じて、ファウンダーズは強力な投資パートナーを引きつけることができた。マオウ・サンミゲルグループだ。2014年、このスペインのビール会社がファウンダーズの30%の株式を手に入れたことは、多くの人を驚かせた。スティーブンスは世間が彼らの動機に疑問を抱いていたことはわかっていた。

「これは資本目的でしたことではありません。どこから誤解が生じているのかというと、私たちが4,000万ドルの醸造施設の拡大を行ったことです。しかし、その資金は自分たちの蓄えに加え、銀行からお金を借りてまかないました。人々は、拡大にはマホウ・サンミゲルのお金が必要だったと思っていますが、それは事実ではありません。『これからの25年間で、自分たちのブランドは一体全体どうなるのだろう』と、考え始めました。私たちは一生働き続けるわけではありません。私にとって最も重要となったのは、ファウンダーズがいかにして私たちよりも長生きするかということでした。クラフトビール業界は異様なくらいの成長期にあるということに気づきました。後継者の育成計画について責任を持って考えるとするならば、今がその計画を立てるときです。私たちは30%の株式を保有するマイノリティーパートナーを呼び込みたかったのですが、それには条件がありました。最優先事項がレガシー、すなわち自分たちのブランドややり方が生き続けること。二番目に相乗効果で、三番目が資本です。未公開株式投資会社、ファミリーオフィス(裕福な家族)、そして世界の最大手ブルワリーにも話をもちかけました。未公開株式を考えたとき、銀行業界には関わりたくないとすぐに気づきました。ファミリーオフィスは魅力的でしたが、自分たちの業界を理解していませんでした。結果、ブルワリーに話を持ちかけなければならないということに気づいたのです。彼らは皆、毎朝起きて私たちと同じことをしています。最優先であるレガシーを考えたとき、125年、7世代続いている、家族経営のブルワリー、マホウ・サンミゲルへ目が行きました。彼らは素晴らしいです。レガシーを理解していました。次は相乗効果でした。サンミゲルが国際的な存在感を有していることに感謝しました。彼らは私たちに世界各国に流通できる機会を与えてくれました。そして、言うまでもなく彼らには資本がありました。私たちは20年付き合ってくれた投資家に返済することができました。マホウ・サンミゲルの持ち株は30%だけだったので、主導権と所有権は私たちが維持しました。思っていたことが全部叶いました」

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自社株の25%を600万バレル以上つくるブルワリーに売ったため、ブルワーズアソシエーションの定義上では、ファウンダーズはもはや「クラフトブルワリー」ではないということになる。そのことに関して、ファウンダーズが頭を悩ましていることはあるのだろうか。

「正直、それはまったくありません。最終的にはこの定義はなくなると思います。それよりも一番気になるのは、伝統とレガシーを理解する同じ家族の手で125年間続いているブルワリーに30%の株式を売ったために、私はもうクラフトブルワーではないということです。しかし、もしレガシーも相乗効果もなにもわからないような投資会社や銀行に99%の株式を売った場合には、私は依然クラフトブルワーと呼ばれ続けます。どうなっているのかわかりません。後継者を育成するための計画について叩かれることはおかしいと思います。そんなことは経営者として無責任なだけです。『稼げるだけ稼いで辞めよう』なんて考えたこともありませんし、そのようなことを意図しているわけではありません。私たちはこの25年間、がむしゃらに働いてきました。貯金をしよう。家族を守り、投資してくれた人に返済し、パートナーを見つけてこの会社が確実に次の世代まで続くよう努めよう。それが私たちの意図してきたことです」

この資本追加と、最近のブルワリー拡大による飛躍的な製造量増加を受けて、スティーブンスは、CEOとしての彼の役割が新しい局面に入りつつあるということに気づいている。

「自分のブランドが成長するにつれ、組織の外部に重点を置くことが重要になってきます。何年も何年も、私は経理、販売、醸造スケジュールなど、たくさんのことをしてきました。今は、それらに関して指示を出してくれる首脳部が組織に加わりました。私は引き続き、戦略やゴールを打ち立て、その実行を管理しています。しかし、すでに述べたように、私の今の焦点は組織の外部にあります。飛行機に乗ってイベントを訪れたり、私たちのビールを扱っている卸業者のオーナーに会い、感謝を伝えたりします。お得意様のところへも行きます。普通、そういうところから着手するはずなので、ちょっと順番がおかしいかもしれません。一般的には、まずは顧客を獲得し、いたるところに出没して、なんでもしようとするものです。ある程度の地点まで到達したら、組織の内部に重点を置き、体制や一連の過程を確立します。すなわち、自分のブルワリーの経営を固めます。これはなによりも年月がかかることです。そしてそれが固まったら、外部にまた目を向けるのです」

エングバーズとスティーブンスは、ジェレミー・コズミキという有能な醸造責任者にブルワリーを任せることができていた。おそらくこの態勢のおかげでコズミキは偉大になり、会社は名声を得た。コズミキは19歳から自家醸造をしていて、ファウンダーズには2000年から加わった。まずは誰もが最初に任されるような仕事であるパッケージのラインを担当したが、2002年にアシスタントブルワーになり、2005年には醸造長になった。コズミキは、自分がファウンダーズに入ったときにつくられていたビールはお気に入りではなかったと言う。「味わいはしっかりしているが、さほど興味深くなかった」。しかし、彼が醸造チームに加わった2002年は、ファウンダーズにとって転機となった。

Brewmaster Jeremy Kosmicki Brewmaster Jeremy Kosmicki

「そのときから、新しい銘柄を開発し始めました。エングバーズとスティーブンスは私に、『現在のレシピは好きじゃない。だから、これらのビールを美味しくするために必要なことをしてくれ』と言ってくれたのです。自家醸造をしていた者にとって、これは素晴らしい機会でした。以前、ファウンダーズの銘柄は、ビンに詰めるものもタップルームで提供されるものも同じでした。そこで、タップルームをそれまでと違ったビールをつくる場にしたのです。これは成功し、タップルームだけで提供した銘柄の一部をビンに詰めて出荷しました。タップルームのお客が味わったものを、多くの人に味わってもらえるようにしたのです」

「私たちはホップが大好きだったので、まずIPAのレシピを変更しました。自分たちのIPAが好きではなかったのです。当時の醸造責任者は、ミシガン州にあるニューホランドブルーイングでアシスタントをした経験がありました。そこでは彼は、ドライホッピングを用いて、マッドハッターIPAの味を素晴らしいものにしました。私たちはドライホッピングの量をつり上げていき、それをもっと効果的にするための技術も変えました。これはIPAを改善するのによいスタートとなりました」

世間はファウンダーズの存在に気づきだし、称賛の声は次第に上がっていった。コズミキは、タップルーム用につくられたビールのすべてがよかったわけではないと認めるが、廃棄したことは一度もないし、つくったビールについて恥じることはなかったという。

コズミキが醸造責任者になる2005年までに、ファウンダーズは、思いきったビールをつくるという名声を確立した。レシピの方向転換における、エングバーズとスティーブンスの態勢のおかげによるところもある。コズミキはホップのきいたビールへのひいきでもって、そうしたビールへの傾倒を続けていった。そのころ、インターネットの評価サイトができて数年経っていたが、ファウンダーズのビールは好意的に評価されるようになり、探し求める人が増えていった。しかし、「ホップがきいている」ということは、ブルワーや、そして消費者一人ひとりによって意味が変わってくる。最近では、ホップのきいたビールと言えば、まずもって米国の西海岸スタイルのIPAが挙げられるようになっている。中西部でつくられていて味わいの違うファウンダーズのIPAは、ホップが派手にきいている西海岸のビールとどのように比較され得るのだろうか。

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「バランスの取れたビールをつくるブルワーであることに誇りを持っています。甘味がある程度残っている限り、ホップをたくさん用いてかなり苦くすることをためらいません。西海岸スタイルのIPAはかなり一次元的です。甘味はあまりなく、後味はさっぱりとしていて苦い。味は好きなのですが、たくさんは飲めません。のどが渇いてきて、水が必要になります。東海岸スタイルのIPAは、麦芽の特徴が前面に出ていると思います。ここ中西部では、例えば私たちのビールや、ベルズブルワリーのトゥーハーティッドは、より一層バランスが取れています。苦味を引き立てるための甘味があるのです。

ファウンダーズは、ホップのきいた革新的なビールをつくってきたと同時に、クラフトビールのある方向性をリードしてきた。2002年ごろ、最初にウィスキー樽を使ってビールを長期熟成させたブルワリーの一つになった。ファウンダーズでは、ブレックファストスタウト(アルコール度数8.3%のコーヒースタウト)をバーボン樽で長期熟成させることで始まった。こうした実験は続けられ、予期せぬがたいていは美味しくなるという結果が得られていった。

「結果が予測できないというのが、木樽での長期熟成の面白いところです。樽はそれぞれ違った年代のウィスキーが入っていたわけで、それぞれ違った反応を起こします。そうした樽からビールを出すとき、私たちはすべての樽のビールを試飲します。なにか変なことが起きていないかどうかを確認するためのテストがありますが、私たちは自身の舌を信頼しています。この時期はかなり骨の折れる仕事が強いられます。200から300の樽を空けることもあります。私たちにはテイスティング班があります」

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このテイスティングの作業をボランティアでしたがる人はいくらでもいるだろう。この工程なしでは、KBS(ケンタッキーバーボンスタウト)という米国で最も評価されているビールの一つが生まれることはなかった。これは、特別に醸造されたインペリアルスタウトで、おびただしい量のコーヒーとチョコレートを用い、オーク製のバーボン樽で丸1年熟成させている。米国で人気のビール評価サイトの両方で満点(100点)を獲得し、数年前には片方の評価サイトで最高のビールという評価も得た。ファウンダーズは今や数千の木樽を市街地から近い「ほら穴」と呼ばれるかつての坑道に保持していて、KBSやほかの銘柄を前述の工程に則って長期熟成させている。

消費者がファウンダーズの素晴らしさを味わうのに、KBSだけを要求する必要はない。評価システムを重視するのであれば、満点を取っているビールはほかにもいくつかある。評価サイトにあまり興味がない人でさえ、彼らのビールが並はずれて美味しいと言っている。さもなければ、ファウンダーズのタップルームがミシガン州で有数のビール販売量の多いスポットにはならなかっただろう。同州のプロスポーツの四つの競技場よりもビールを売っている。比較的小さな飲食店としては、驚異的な販売量である。

エングバーズ、スティーブンス、コズミキからタップルームのスタッフに至るまで、ファウンダーズの従業員はいまだに、自分たちは素晴らしいと胸を張ることはない。彼らは誇りを持ってビールをつくり、世界レベルのブルワリーになるという大志を抱いているかもしれないが、彼らに実際に会ってもそういったことを鼻にかけたり自慢したりすることはないので、まさか彼らがそんな野望を抱いているとはわからないだろう。ファウンダーズの誰もが非常に現実的であるのは、もはや異常と言えるほどである。中西部の人たちが謙虚であることはよく知られているが、彼らの場合、この地域の人たちの特徴ではなく、おそらくファウンダーズそのものの特徴である。彼らは仕事を通して満足を得ているので、お世辞を必要としていないかのようだ。ファウンダーズの素晴らしさの一部になっていることをときどき確認できれば、それで十分なのである。




ファウンダーズは、ナガノトレーディングが2016年内には輸入を開始する予定である。

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Brian May



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ファウンダーズの国際事業部門ヴァイスプレジデント、ブライアン・メイは、2014年に同社に正式に加わって以来、ファウンダーズの成長に不可欠の存在としてここまできた。加入前はCEOスティーヴンズと飲みにいくことが時折あり、彼の持つビジネスに関する知識を共有していた。マオウ・サンミゲルとの取引を成立させるための一連の流れを支援し、取引成立後は、ファウンダーズの国際的発展に焦点を移した。メイは、これまでの進展を誇らしく思っているが、「5年前にいくつかの市場に種をまいてくれた」のはエングバーズとスティーヴンズだと言う。現在、メイは日本に種をまいている最中で、この先とても楽しみだと話す。彼の木はうまく成長するだろうか。

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